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みんぺのにっき。

何かが変わっていったらいいなと願いながら、感じたままにいろいろ書きます。生きたいように生きたいね。好きなことを、好きなように好きなだけ。

母の愛情をお金として求めてしまう心。その2。

前回の続き。

 

母に傷つけられたとはまったく思っていないが、もうひとつわたしが勝手に傷ついた出来事は、大学にあがるときだった。

入学金やら新しい定期代やらでたくさんの金銭的負担を親にさせてしまう時期であるが、同時に必要になってくるのは大学に通うため衣服である。

 

中学、高校とともだちと遊ぶことなく、卓球と勉強にあけくれていたわたしはジャージとTシャツ以外はまったく持っていなかった。

 

当時は中学のときに買ってもらったジーンズしかないレベルで本当に私服がなかった。

それは、自分が必要になるまで興味がなかったのもあるけれど。

 

姉はわたしよりも興味が女の子らしかったので、どこか行くと服を買い与えてもらっていた。(私服にとどまらず卓球のユニフォームも)

だから、それなりに洋服は持っていたのだ。

 

わたしは持っていない分、きちんと揃えさせてくれるだろうと思っていた。

そう勝手に期待していた。

 

わたしの期待はかなうことはなく、ボトムが3着とトップス3着くらいだったように思う。

これだと服をそもそも持っていなかったので、全然着回しとかできないレベル。

いろいろ合わせて10着くらい買ってもらえると思っていたのに。

(服を自分で買うようになって思うと金食い虫でしかないな…)

 

 

大学が始まると、自分でも自分のことダサいのはわかっていたし(当時の写真は見返してもダサい)、新しい服も欲しかったのだけれど買えるお金は持っていなかった。

 

母はわたしにもうちょっとなんとかしろと言う。

じゃあ服を買ってほしいというと、それは自分で金を出せというのだ。

 

アルバイトを始めたのが確か5月の半ばとかだから、6月まで自分でお金は稼いだこともなかった。月1万、父からもらうお小遣い以外は本当に何もなかったのだ。

 

そんなわたしのことダサいと思っているのに、可愛くしようとしてくれない母が嫌だった。

そして、わたしのこと好きじゃないから買ってくれないんでしょと勝手に思うようになっていくわたし。

 

 

衣類だと、卓球時代からそうだった。

学校でそろえるユニフォーム以外は全部おさがりだった。

なにかあると、おさがりがあるでしょ。学校のを使いなさいだった。

お姉ちゃんは中3の時ミズノのかっこいいジャージを買ってもらったのに、わたしには学校のジャージがあるでしょ、としか言わないし。やっと買ってもらったジャージもIGNIOのだっさいやつだったし。

 

そんなだったから、ささいなことにお金を出してくれるかくれないかが、いちいち気になっていた気がする。(具体的にはあんまり覚えていないけど

 

 

母がわたしを愛していないとわたしが思ってしまうのにはもう本当に充分だったのだ。

 

勉強や生活面に関しては本当にきちっとしている姉といつも比べられた。

お姉ちゃんのようにしなさい。

なんであんたはできないの。

 

そんな言葉ばかりを受けて育った。

 

まじでお母さんに褒められた経験はない。

高校進学も、大学進学も応援されたことなどない。

 

実は高校も大学も姉と同じなのだけれど(学部は違う)、それも、お姉ちゃんだからできるけどわたしには無理だと何回言われたことか。

 

 

だから、逆にちゃんと兄弟ひとりひとりを別にみて、正当な評価をしてくれる父親はとても好き。

高校も大学も父はちゃんと応援してくれたし。

ちゃんと理由を話せばお金だって出してくれる。

それもちゃんと兄弟全員になんやかんや甘いのだ。

 

 

おばあちゃんにはよく言われるのだけれど(だいたいわたしがおばあちゃんに愚痴ったときに)、お母さんはお姉ちゃんを贔屓しているらしい。はたから見てわかるそうだ。

 

母と姉との関係をわたしから見ると、母は姉をちょっとご機嫌取りしているようにも思う。

今は落ち着いたけれど、あの人は留学に行くまで本当に家族にはうまくいかないことの八つ当たりのひどいひとだったから。

勉強がうまくいかないイライラとか全部態度に出す。

すぐに不機嫌になるし、扱いにくくてかなわない。

 

そんな姉はわたしにとってまったくいい姉じゃないのだ。

 

それがわたしはとても寂しい。

 

 

だから、母がわたしに姉とまったく同じようにお金を使ってくれないことは、わたしにとっては同じように愛してくれていないことと同義だった。

お母さんにわたしのことでお金を使ってほしい。

お金を使ってくれることが愛情だと思ってしまうのはそういうことがある。

何かを買ってくれなかったことが、わたしはわたしを大事にされていないと思ってしまったのだ。

大事じゃないから与えてくれない。

 

 

だから、わたしはお金をわたしに使わせようとして、留年したのかもしれないとどこかで感じている。

お金の量が愛情じゃないことはちゃんとわかっているし、これまでのお金の使い方なんて測れやしないし。

 

けれども、わたしのことを大事に思っている証拠としてのお金をわたしは欲しがっている。

だからわたしは母に対しては愛情としてのお金を求めてしまう。

 

本当はそんなことないのだ。

ちゃんとわたしは母の娘で、ここまで育ててもらってあと1年だか2年だかは養ってもらうわけで。

留年の時点で家を出ていけと言われてもおかしくないのに、見逃してくれているのだ。

それだけでも実はすごいのだ。

 

こうやって留年することを許されたのも、家を追い出されない確信がわたしにはあるのだ。

 

もっとちゃんとストレートに愛してると言ってほしいのかもしれないけれど。

 

 

いつか、家を出る前か出ていくとかはわからないけれど、お母さんとちゃんと話がしたい。

今までのいろんな心のつっかえを全部取って、ちゃんとわたしは愛されているのだとちゃんとちゃんと感じたい。

わたしが傷ついたことを、母に知ってもらうだけでも癒えていくのかもしれないけれど。

 

 

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 つつまれていたい。