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みんぺのにっき。

何かが変わっていったらいいなと願いながら、感じたままにいろいろ書きます。生きたいように生きたいね。好きなことを、好きなように好きなだけ。

生きたいように生きること。

ずっとやってみようって思ってたブログ!

1記事目!
なんでやりたかったのか。
わたしのすごく好きな女の子がブログをやってて、見てて、刺激を受けたのが理由です。記事ごとにかわっていく彼女をみていて、いいなぁこういう風に生きたいなぁ、って思いました。じゃあわたしもブログはじめちゃおう!というのが始まりです。

彼女の記事のなにが良いかって、わたしにとってちょうどいいんです。ほんとうにそのまま、素のままの彼女の言葉がすんなりわたしの中に溶け込んでいく感じがします。強い言葉だとそれがどんなに良いことを言っていても、正しいこと(正しいとは何かっていうのはちょっと置いといて)を言っていても、わたしは混乱してしまうので。言葉の強さがまず先に来てうまく飲み込めなくなる。(食べることに例えると辛すぎておいしいかどうかさえわかんない感じかな?)だから、その強さがない彼女の言葉は、溶け込んですんなり納得できる感じが心地よくて読んでいます。(たまにタイトルですら羨ましいなぁってなるときは時間を置いてから読みます)
そして、わりとリアルタイムでわたしが考えていることだったりするので、余計にほぉ〜と思います。

そんな理由でブログを始めるわたしですが、どう変わっていくのかな〜っていうのでいまはわくわく。
わたしも1000記事書いてみよう〜!

1記事目はわたしのしたい生き方について書きます。
タイトルのように『生きたいように生きる』がわたしのしたい生き方です。言い方をちょっと変えると、『脚色されていないわたしで生きる』ということです。

脚色されるとは、個人を取り巻く環境に溢れている流れに左右されることだと捉えています。

環境溢れている流れは、流行や季節のイベントもそうだし、通過儀礼もそのひとつかな。
それらを作っているのはわたし個人の周りにいる人たちです。(みんな大好きだよ)
周りにはいろんな人がいます。いちばん近いのは親や兄弟といった家族。これまで学校で出会った友人たち、それ以外の卓球やパルクールや興味を持ったものを通じて出会った人たち、SNSだけ繋がっている人。そうした全ての人たちも環境のうちのひとつだと思っています。

彼らはそれぞれが思考をし、行動をしています。それらが情報の集合体としてわたしを取り巻く環境となっています。
その集合体に流されない生き方がわたしはしたい。
もちろん、影響や刺激を受けることはたくさんあります。このブログだってばんばんに影響を受けたひとつの結果です。
でも、わたしはわたしのやりたいという意思をもってブログを始めています。だからこれはわたしの生き方の一部です。

うーん、うまく言えなくなってきた。
逆の言い方をしていこうかな。

意思決定や行動の理由として自分がいちばん持ちたくないのが、『まわりがやっているから』です。

いちばんそうだなって思ったのが就職活動です。自分のこれまでのやってきたことに理由をつけて、わたしはこういう人間なんだってラベリングするイメージ。
過去は未来の結果だ、というのがわたしの時系列の捉え方なので、なんだかその行為にとても違和感を覚えました。自分で自分にレッテルをはることがすごく怖くて、わたしは自己分析とかしていません。というかそういうことしなきゃいけないなら別に企業入らなくていいやと思っています。
組織の一員になることがとても怖いというのもあります。(これはまた別の記事で書こう。)

就職活動をはじめる理由はみんななんだったんだろう。とりあえずまわりに合わせて就活した方がいいよって大学3年生のときにたくさん聞きました。それは世の中の流れがそうじゃないと採用されにくいからだと思います。(今ちょっとずつ変わってきているだろうけど)それでちょこっとだけ就活に手をだしてみたけど。自分が働きたいと思ってないから、就活を進めることができなくなっちゃった。
あーだめだめだーって悲しくなったり、虚しくなったりしてた。
それでも、わたしはずっと学生でいたいと思ってて、だらだらなんとなく生きてた気がする。頑張りたくなかった。真剣に生きるのが怖かったのかななんでだったんだろ。

その末のいまはちゃんと社会に出たいと思ってる。
そのタイミングは本当に突然でした。ちょっといろいろあって留年するんですけど、そのことを親に話した時に初めて心の底からそう思えた。親に恩返しがしたい、といったほうが正しいかな。あぁ、こういう大人に親になりたいなぁって。

そのあと、いつだったか『働きたいと思うタイミングは人それぞれ』ということばを誰かのブログで読みました。
たしかに!!!!!!って、自分の経験としてすごい納得した。周囲の行動にちょこっとずつ置いて行かれてたけど、別にこれ間違ってたわけじゃないんだって感じれた。

でも、世の中はそうじゃない、と感じているのはいろんなところで溢れている就活の広告の感じ?
大学卒業したら、に向けて煽っている感じ。
働きたいと思うタイミングは人それぞれなのに、世の中はその個人のタイミングを待ってくれない。それってすごく優しくない気がする。
就活の中で自己分析というラベリングをして、できるだけこれからの思考や行動に一種の推測を出す。
過去は未来の結果という捉え方の中では、未来は望めばなんだって手に入るのに、そのラベリングという行為でその未来をきっと閉ざしているなって感じました。

そう感じたときに、就活ってなんて怖いんだろう、って思いました。
でも、新卒でとってもらえるように就活しなかったら人生どうなるんだろうっていう恐怖も同じくらいあって。それはわたしが環境という川の流れに煽られてるけど流されたくないよう!って必死にその辺の岩にしがみついていたから。

その流れから這い出して、『生きたいように生きる』と思えたのは、中途半端に逃げたある経験からでした。中途半端に逃げた結果わたしはずっと苦しくて、実は今でもまだずっと引きずっていることがあって、洗濯機の洗剤のかわりに後悔というヘドロを入れて回されている感じでした。そんなぐるぐるドロドロした中で、ふと、全力で逃げたらそれはそれで道ができたんじゃ?ってなって洗濯機がとまってくれました。流れで言うなら、上半身だけ川から上がれた感じ。とりあえず流されはしない状態。

この場合、全力で逃げるというのは『就活をしない』ということ。
お金が必要なら、頑張ってアルバイトすれば生活することも不可能ではない。企業に入るということにこだわる必要はないんだなーって。
もちろんその企業がやってることがぴったりわたしのやりたいことに当てはまるなら、入りたいと思うけど。そういうところが見つかったなら、それはもう運命だと思います。そこからはちょっと気が楽になりました。あぁ人生なんとかなるなぁって。

生きたいように生きていいんだ、という許可をもらったというか、わたしがわたしに許可してあげられたというか。

世の中の流れのおそろしいところは、個人の感情や欲求さえも流してしまう強い力があるところだと思います。流れの中ではそれに逆らうのはとてつもないエネルギーが必要です。
流されていることに気がつかないうちはきっとラクではあると思うけど。
でも流れから出てしまえば、自分の足で歩くエネルギーがあれば進んでいけます。

そんな自分の足で歩くという人生にしたい。
それは、わたしの想いを大切にしてあげるということでもある。

流れに逆らってるうちは、こんなわたしはダメダメだって毎日自分を責めて責めて責めまくってすごくしんどかった。
こんなことを思うわたしは間違ってるって思ってた。

自分の足で歩いていると(いまそう言っていいのかまだ微妙だけど)、足に出来た傷にもちゃんと目を向けてあげることができます。
痛いって思ってあげられます。
薬を塗って、包帯を巻くこともできます。

そういう生き方があるわたしはしたいです。


話にまとまりがなくなってきてしまった。笑

生きたいように生きるの前提?に自分を大切にするっていう話をしなきゃいけなかった気がする(笑)

 

えーと最初に立ち返ると、脚色されてないわたしで生きる、か。

脚色とは環境の流れに左右されるってことだから。そうだね。人の言ってることに染められたりするんじゃなくて、わたしをちゃんと持って生きたいですってことかな。

 

うーーーーん、まとめ方がわからないからこの辺で終わっとこう。

また整理しよう!!!

理路整然と書くのは難しいねー。

 

最後に、就活をすごいdisってるみたいになっちゃったけど、あくまでわたしにとっての就活、働くということに対する感じ方だから、不快な気分になる人がいたら申し訳がない。ことばが下手なんだなまだまだ。
就活をというイベントの中でも、自分と向き合うことは意義のあることだと思ってる!です!