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みんぺのにっき。

何かが変わっていったらいいなと願いながら、感じたままにいろいろ書きます。生きたいように生きたいね。好きなことを、好きなように好きなだけ。

『努力』とはいったい何者なんだろうか。

世の中には、才能やセンスと言う言葉の対義語のように努力と言う単語が存在する。

中には、努力をする才能と言うそれが対義語なのか包括される単語なのかよくわからない表現もある。

 

努力とはなにものか。

 

わたしは努力なんてものは存在しないと思ってる。

 

なんでかっていったら、わたしが努力なんかしたことないんじゃ~人間だから。

それを言うと名大生が何をとか、卓球は?とかいわれるわけですが、
それらはやりたくてやっておったことなので、全然ではないかもだけどそんな激しく努力した感覚はないのです。
卓球は勝ちたかったからだし、練習楽しいし。
勉強は受験はあんまりだけど、定期テストみたいな勉強はけっこう楽しかった。

その楽しいを支えるのは「できる」感覚なんだろうなぁと思うので、教える側になった時はその感覚をたくさん経験させてあげられるようになりたいなぁと思う。

 

だから、高校の頃から『努力』は他人の評価にすぎないのだなぁと思っています。
他人の目に『がんばり』として映らなければ意味がない、とも。

 

ただ、後者に関しては思っていた、です。

 


パフォーマンスとして頑張ってる感を出すのはアリだけど、他人の「がんばってない評価」に関しては気にしなくていい。
わたしはわたしなりにやってるんじゃ~ほっとけ~って感じ。

パフォーマンスっていうのは、一定以上のがんばった評価の基準みたいのを満たすためって感じ。
そうじゃないと、土俵にあがれない時とか言い訳にならない時はそうするかな?

 


わたしはわたしでやってるんじゃ~の感覚はたぶん生真面目な人ほどとても大事な思い方で、そうじゃないとつぶれてしまうことがあるんだと思う。
結果に達してないからダメっていう考え方は自分のやってきたこととかを自分で責める行為だと思うので、自分が苦しくなるだけなんじゃないかと。
わたしはそうやって追い詰めて自滅していくタイプの人間です(笑)
いや、これもだったかな。

 


さて、『努力』というのは他人の物差しでしかないなら、自分の中にあるのは…。
きっとシンプルに「やりたい」か「やりたくない」か、「楽しい」か「つまらない」か。それを「やる」か「やらない」か。それだけな気もする。
やむをえないことはあるんだろうけど、それが自分の生末で「大事」だからでは。
(そんな単純なことばかり言えるのは、自分が身軽だからだろうなぁという自覚はある)

それでね、『努力』は他人の評価だとは思うんだけど、『頑張る』は自分基準でいいと思うのね。

努力と頑張りってわたしの中でちょっとニュアンスが違っているんだけど、どう違うかっていったら説明しにくい。
努力は青でがんばるが赤って感じ。

(伝われー!)


話を戻して、
「やりたくない」「つまらない」ことを「やる」人は、自分がんっばてるー!!!うぉー!!えらい!すごい!!って褒めていいと思うんだ~。
頑張ってる人は頑なに突っ張ってるひとだからね、耐久性はあんまりなくて切れやすくてけっこう不安定だと思うんだ。
だから、自分で自分のやってることを「すごいこと」なんだぞ!ってほめてあげたらいい感じにちょっと緩んで、なにかあってもゴムみたいにびよーんって跳ね飛ばせる気がしてる。

すごいイメージでしかない。(笑)

でも、「やりたくない」と本気で思うならわたしはやらなくていいと思っている
そのためにやらなくていい道は探したり、見つかっちゃったりするといい。
本気の逃げは道を作ることと同じだから。
ちょっと迂回するだけだと、道同士が近い分、戻ってきちゃう可能性もあるしね。
逃げたいなら逃げればよい!

 


言ってることは若造の甘っちょろい考え方なんだろうか~と思ったりもするけど、実際のところどうなんだろう?
シンプルに素直に、着飾らないで生きていきたいっていう願望のあらわれかも。

わたしはもう22歳でもあり、でもまだ22歳で、自分で生きることを選択したのは最近の、ぺーぺーの新米です。
まわりの大人にどう助けてもらおっかな~とアンテナはったりしてます(笑)
べったりではないけど、考え方とか足りない頭とか。何気ない会話から教えてもらっている。

まだまだ勉強中。
いまは勉強欲が強いよ~。あれもこれも教えて、学びたい!ってなってる。

 

お金のこと、服のこと、デザインのこと、身体についても、学びたいことは尽きない。

自分の卒論が、やっていきたいことにけっこう直結しそうでそっちもやりたいし。

 

春休み時間が足りない~!!!

 

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 京都の美味しい写真。

スイーツ充実、最高の町! 

世界はまるでゲームのようで。

 

なぜかしら鬱々とした記事が続いてきましたが、今日は楽になったお話。

 

今日は久々のオフ日だったので、友達にもらった50%オフ券を使って優雅にヒトカラでもしようと思い10時くらいに家を出ました。
先輩トレーサーにお借りした本を読みつつ電車に揺られていると、あるひとりの友人からぽろろんとラインが来ました。
彼女はどうやら今朝の『何か』の記事を読んでくれたらしく、メッセージにはそうとわかるひと言が。


わたしの『何か』ってなんでしょう

 

わたしは彼女のことがとても好きです。信頼しています。
わたしが彼女を尊敬していることについて話しました。

「好き」という気持ちと、広く受け入れるこころがあなたの『何か』だと。


わたしに言われると説得力があるらしく、ちょっと安心してくれたようなのを画面のこちらで感じました。


わたしはこの世はまるでRPGよろしくのゲームであり、壮大な物語だと思っている節があるので、そのことについて彼女に熱弁しました。

まわりに恵まれているのは神様がそれでいいんじゃ~ってGOサインを出している証拠だと。
その周囲の人々はいわばパーティーであり、あなたの仲間なんだと。
出会うべくして出会っている。

ゲームにはクリエイターがいて、勇者や勇者が救う世界、勇者が倒すボスを作ります。


世界の主人公である勇者があなただとしたら、倒すボスやクリアするステージは大小さまざまな目標やら何やらです。そして、それらを勇者に与えるクリエイターはきっと神様。


そうして作られたあなたにはストーリーがあって、どこの町でどういう能力を持つ誰と出会って(魔導士や、商人や、薬師とか。大道芸人もいるかもね)、ラスボスに挑む。
倒すべきラスボスという名の目標や試練たちのために、クリエイターである神様は仲間をお与えくださっている。


周囲に恵まれてると思うのはきっとつまりそういうことなんだと熱弁しました(笑)


勇者が勇者としているから、たくさんのパーティーメンバーに出会えるのであって、始まりの町にずっとこもっていたら世界は滅びてジ・エンド。

たぶんそれぞれがそれぞれのゲームの主人公で、いろんな世界観のゲームが混在するから、見えにくくなるんだと思う。

どうぶつの森で、マリオカート爆走してるみたいな感じ。

大変な人が多いのは、ほんとはカートなんか乗らなくていいのに、無理してのったら案の定転倒みたいなことが起こってんじゃないかと思うわけです。

カート好きな人はカートに乗ったらいいし、ポケモントレーナーになりたい人は旅に出たらいいし、隣のツムとくっつきたかったらくっついてスコア稼いだらいいんだと思う。

そうして人生=ゲーム論について語ったあと彼女から、これからもよろしく、とあらためてメッセージが。

見た瞬間電話しました。
(実際には電話してもいい?って聞いてカラオケの個室で1時間ほど歌ったあとにかかってきました)

彼女に感じてしまった、本当は感じる必要のない不安について。
彼女がそんなこと思ってないことはわかったいたけど、勝手に抱えてしまった、いつか離れてしまうんじゃないかという不安。

泣きながらそんなことを話し(カラオケの個室で)、そんなわけないじゃんって彼女にも言われ、おそらくお互い泣いてこれからもよろしくと1時間以上これからのお話をして元気モリモリになりました。

おなじNPCに話しかけてるだけでパーティーメンバーが見つからない!みたいなことをひとりでやっていた感じです。(笑)

ワンピースでいうところの、いったん船から降りたけど戻ってきて結束固しみたいな感じになったので、バリバリ活動していきたいと思います!

とりあえず、2017年のうちに会社を立ち上げたいですな~。

 

あ、彼女の『何か』を話したとき、自分に欲しかった『何か』があぁこれなんだとすんなり落ちてきて、それでもまぁ抽象的に『魅力』だったんだけど、大好きな彼女にそんな風に聞かれてわたしの焦燥感は満たされたのでした!ちゃんちゃん!(壮大なかまってちゃんだね!笑)

 

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あなたはあなたの『何か』を持っていますか?

『何か』の話。


あなたは『何か』をもっていますか。
わたしだと言える『何か』がありますか?

27記事目です。


ふとした瞬間、わたしには『何』もないなぁと寂しくなることが多々あります。
だから頑張って『何か』を得なければと思います。

 

『何か』を持ってる人を見るととてもうらやましくなる。
その『何か』はその人の一部で、その『何か』がおっきければおっきいほどにその人の価値が大きいように思います。

そう考えると、自分を示してくれるような『何か』はわたしは持っていないなぁと思います。
『何か』がだれかなら、『   』は    と同じです。

何もないといつかおいていかれる気がする。
誰からも忘れられてしまう気がする。
そのうち要らなくなる気がする。

いま一緒にいる人たちがいつか世界が違う人になってしまったら怖いなぁ。

なにもなくても素晴らしいと言ってあげられないのは、言わないと自分が決めてるからなのか。たぶんそうだけど。

わたしってどんな人間っていうと、「頑張り屋」って言われます。
高校くらいからかな。
卓球も勉強も両方頑張っててすごい!というのが割とまわりの評価でした。
わたしとしてはどちらも頑張ったことなんかない!!!って感じでしたが。
なにもがんばってないのに、がんばってるって評価されることにすごく違和感を覚える。
自分のビッグマウスなとことか、頑張ってるフリが上手なところに、変な言い方すると騙されてくれるんでしょうな…。
過程について評価してあげられないのは、結果が残らないと意味がないと思っているから。

もちろん過程も大事。過程で学んだことなんてごまんとあるからちゃんとわかってるけど、そのうえで結果が大事だと思ってる。
勝つためにやってる以上、練習したって試合で勝たなきゃ意味がないんだ、ということ。


あなたから見て。わたしは『何』ですか。
どういう人ですか。
『何か』持っていますか?

わたしはちゃんとわたしですか?


『何か』があれば自信を持てる気がする。

 

いやね、本で読んでね、そんなもんなくったっていいって知ってるんすよ。
知ってるんです。
そのままで自分が素晴らしいことを。

 

でもわかんないんです。

知しっているけど、わからない。

 

 

どんなに大丈夫と思っても、口にしても、払しょくしきれない不安があるんです。
ダメな気がしてしまうんです。
それじゃダメなことも知っています。
でも、こびりついたさびみたいな否定思考ってどうやったら落ちるんですか。
心の底から信じるってどうやったらできるようになりますか。

心屋さんの言う通りなら、わたしは幸せになりたくないのだし、成功したくもないってことになる。
そう思うたびに、くー、幸せになる覚悟が足りないぜ!!ってなる。

 

心屋さんの本読みたい…。
最近不足している。
貸し出し中のがたくさんあって、もうしばらく読んでない…。
苫米地さんも。

こころが軽くなる本を求む!

 

なにもなくていいんだという前提で、わたしにこれから『何か』がくっついてくるとして、その『何か』はいったいなんだろうか。

 

そんなことを考えて、Twitterに投稿したら、遠方のまだあったことはないトレーサーさん(パルクールしてる人のこと)にパルクール上手い人と言ってもらって嬉し泣きしました。

 

拾う神!って感じでした。

 

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イライラの正体と穏やかに生きたい願望

今日の朝、久しぶりにFacebookを開いて、なんとなく久しぶりに心屋さんのブログ開いてみた。

今日のブログは、講演のオープニングはだれだれでした~ってだけの記事だったかな。たぶんそうだったと思う。(さかのぼっても見つからなかった)

そこで、そのオープニングの人のしゃべりにイライラする人がたくさんいるんじゃないかって言っててね、わたしは別に参加したわけじゃないからその人には全然イライラする要素はないんだけど、普通に生活しててイラッときてけっこう沸点が低いのか、すぐカッとなってしまうんだけど、読んだ瞬間、そういえばわたしってイライラの持ち主だなって思ったのね。

ほんで、心屋さん曰く、その人にイライラする人は、「おとなになろうと頑張ってきた人」らしいんだ。
びっくりしちゃった。
全然関係ない記事を読んだはずなのにわっと泣きたくなっちゃった。

あぁ、そうかもなぁって。
わたしがんばってるのかもしれない。
はやく大人になることを。

高校まではわたしが我慢すればいいことなら我慢すればいいと思ってたし、家でもたぶんそんなに我慢とは思ってないけど、仕方ないなと思ってきたことはたくさんあって。
家族に八つ当たりするお姉ちゃんの機嫌とったり(最近面倒だからやらないけど)、なんか言われたらとりあえず言うこと聞くし、たぶんお兄ちゃんの次くらいにあれやこれやと手がかかるような子ではなかったと思うんだなぁ。
姉に許されて、わたしに許されないことが多々あったこともあるんだろうけど。
(全国の姉妹兄弟の人にいうけど、上も下も本当にちゃんと大事にしてね。お互い。ホント。家族の傷は癒えにくいからね)

あぁ、なんかうまく言えないけど、しっかりしなきゃとはずっと思ってきたし言われてきたし、甘えたいときに甘えられたことはあんまりない気がするし、そんな中でわたしがわたしであることを抑え込んできたことはたくさんあって。

わたしいちばんイライラしちゃうのが年上なのにやってること中・高校生みたいな人なんだよね。
えー、その年齢でそれやっちゃうの…。イタイなぁ…。
ってSNSとか見ててもめちゃ思うんだけど。
んで、それが自分のテリトリーに入ってきちゃうとすぐプツってしちゃうんだよね。

は?なにこいつ!うざ!!!って割と頻繁に思ってる。
1日に最低1回はあるかも…。

実は今日も電車降りる時に、前の脚の悪いおばあちゃんが降りるの待ってたら乗ってくる人に「どいて」ってわりと食い気味に言われて、「いや、待ってんの見て分かれよ」と一瞬でカチンときました。

最近、自分でもたまに恐ろしいくらい、たいしたことじゃないのにカチンとくることがあるからなぁ…。
溜飲はすぐ下がるけど。

その全部が全部じゃないだろうけど、本来の自分の心以上に背伸びして「しっかり」しようとしてきた反動みたいなものなんかなって思った。

 

たしかにイライラすることはたいていわたしが自分に許していない行為ばかりのよう思う。

自分がしたら、自己嫌悪することが多いと思う。

 

だから、なんかさ、「ちゃんと」しないとざわざわするんだけど、でもなんかもうがんばらなくていいんかなって思ったり。
でも、10年くらいは「ちゃんと」「しっかり」しようとしてきた癖みたいなものがあるから、それがもう癖になってしまったら、それはそれでわたしなんじゃないかなとも思えて。だとすると頑張らないってなんなんだーって、よくわかんないんだよね。


あー、イラッとしたりカチンとしたりせずに穏やか~に過ごしたい。

最近、「まみむめも」は人がリラックスする口の動きをするというのを聞いて呪文のようにまみむめもって繰り返したり、爆破したりしてるよ!
(爆破はまた今度記事にするかも)

 

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美味しいバーガーがたまに無性に食べたくなる。

春休みにやりたいこと。

やっとこさ春休みが到来して今日が11日目です。

お金の勉強になるよと言われて貸していただいた「金持ち父さん、貧乏父さん」っていう本をようやくよみきれました。(タイトル逆だったかも)
すっごく面白かった。

 

金持ち父さん貧乏父さん

金持ち父さん貧乏父さん

 

これこれ。 

 

この本では、貧乏な人はお金のために働く、お金持ちはお金を自分のために働かせるという話を軸にどうやって自分のために働かせているかっていうことをわかりやすく書いてありました。
その手段に不動産が何度も例で出てくるんだけど、さすがにそんなお金はないので、株なら始めれるんじゃなかろうかと思っています。

あ、あと個人の資産と負債の分類に関しては自分がしたこともない考え方でびっくり!

この本でいちばん深く思ったのは、やっぱり勉強はしておくに越したことはないってこと。
特に簿記は絶対やっておくべき。
経済でよかったと思った数少ない瞬間のひとつが増えました。
お金について知らないこと多すぎて、このままではわたしはお金のために働くというラットレースにはまっていく…。そうならないようにまずは知識をつけないとだめだーと本にも書いてありました。
なので簿記!
単位はとってるけどテスト前のプリント暗記なので頭には入ってないのです。

ということで、わたしの春休みにやりたいことのひとつは「勉強」です。
これがうまくいったことが一度もなくて困ってる…。
家に帰るとなんとなくだら~っとしちゃって集中ができないんだよね。

家=休む場所っていう認識を脳がなさっている気がする…。

そしてお身体様も実行なさっている…。

あと、暖房は乾燥してのどがすぐにダメになるし嫌いなのですぐ布団もぐる習性に困る!
ほんとすぐなの!


せっかく早起きしても、ご飯食べて2度寝みたいなことがしょっちゅう…。

テスト勉強の時もそうだけど、喫茶店がいちばん集中できるので喫茶店に通うことになりそう。習慣づけばほかの場所でもできるようになるといいなぁ~。せめて図書館とか!

勉強は簿記のほかに英語もやりたい。
TOEICの点数がほしいんです~。
未だかつて受けたことのないTOEIC
春はたぶん入会金安くなったりするはずだからアメリカ行くために会話塾にも通おうかなと思いつつ。
(これは気兼ねなく英語で話せる場所ならどこでもいいんだけど)


あとはバイト!
とにかくお金が欲しい
アメリカ行く資金がほしい!
ただ、わたしは年間103万じゃなくて月に8万5千以上稼げないから上限ずつ稼いでいかないと、ためるのが難しい…。
バイトも変えたいって言ってから全然変える気配ないし…。

バイト先の後輩ちゃんに辞めないでください~って言われると後ろ髪引かれる思いです。

でも飽きたし、この仕事はやりたくないと思うことが増えてきたので変えます!
いいお仕事があるといいなぁ。


そしてなによりパルクール
なににも載せてないけど毎日地味に練習してるよ。(ひとりで)
地味に地味に練習。
ひとりでやってると、これでいいんかなぁって嫌な気持ちが湧いてくるけど、そういう時は初心(卓球)に戻る。
これは基礎練だって。素振りと一緒だって。ラリーで100回切り返しフットワークと一緒だーって。
そうするときもちがムクムクっと回復して、いつか身になるときがくるっしょ、みたいな感じになる。
特に才能があるわけじゃないけど、練習量が必ず力になることは知っているので、がんばろうとは思えるんだよね。
あと、最近はインスタでいいガールズをフォローしているのでそれをモチベにしたり。

あー、あとたまに登場するわたしの親友で仲間で目標でパートナーの女の子の隣にちゃんと立っていられるといいかなぁなんて思いながら。
こないだ、改めて思ったね。

変な言い方かもしれないけど、おいていかれるのはやっぱり嫌だなと思うので。

 

さぁ、いい春休みにするぞ〜!

 

 

いちばん嫌いな感情は。

 

お久しぶりです。年が明けてもう1ヶ月と半分。はやいものです。
自分と向き合うのが億劫になって停滞してしまいましたが、またちょこちょこ更新します~。せめて週1。

さて、タイトルの通りにいきましょうか。
最近というわけでもないけれど、わたしにはうまく折り合いがつかずに悩まされる強い感情がひとつあります。「嫉妬」です。

「妬ましい」というほどドロドロしてはいませんが。
いいな、わたしもああだったらな、と思うことがまぁたくさんある。

こうなりたい、とのギャップにも近いかもしれません。

それに付随するのが劣等感。

どうせわたしなんて、という。

そして自己嫌悪。

なんて小さな醜い人間なんだという。

自分が万人に優しく平等であるような、できた人間でいることはもうあきらめましたが、それにしたって強い嫉妬心や劣等感を抱いて生きていくのはちょっとつらい。そのたびに自分はなんてダメな人間なんだと思うから。

パルクールにしたってそう。

なかなかうまくなれなくて、目に見えるような変化とか全然なくて、全然だめだなー、いいな関東の子はとか、体操やってた子は、みたいに思えてしまうことがたくさんあって、わたしはわたしでやればいい。って納得させようとしても、モヤモヤしちゃってとか、それがたまりにたまって限界になってしまったのが年明けなんだろうと思う。
なんにもしたくなくて、だれにも会いたくなかったし、なにとも関わりたくなかった。
そういう自分を見るのが嫌で、逃げたかな。
逃げ癖よくない…。

わたしはいつだって口だけの中途半端な人間で、でもパルクールに関してはそうなりたくなくて、もっとちゃんとうまくなりたいし、結果だってほしい。でも全然うまくいかなくて気持ちだけ焦っている。

もっとうまくならなきゃ、はやくできるようにならなきゃ、練習しなきゃ。

そうじゃないって冷静に思う頭もあるけれど、それとは嚙み合ってくれない気持ち。
頭と心とがなんだかばらばらに生きているみたい。


みんなどうやってこんな感情と折り合いつけてるんだろうって不思議に思う。
劣等感とか自己嫌悪って抱えないもの?
わたしだけやけに自己評価低いの?
みんな大なり小なりそんなもんだと思ってるけど、別にわたしが異常なわけではないよね?
(あぁでもなんか幸せにはあきらめも肝心みたいな論文あったなぁ…。)


自己評価の低さに、一役どころか大役をかっているのはたぶん実の姉。
うちはもともと天才ではなく秀才タイプの血筋なんだと思うけど、このひとは本当に頑固な秀才って感じ。
なんでもすごい努力する。自分にも他人にも妥協は許さない。
わたしお姉ちゃんほど努力家ではないから、お姉ちゃんほど成績はよくなくて中学の時からずーーーーーっと劣等感を抱えている。
これでも中学のときは学年で60番以内にはずっといたし、高校の時も模試はたしか7割とかそこそこだったし、大学は推薦だけど国公立だのに、成績にいい評価をもらったことはほとんど記憶にない。
お姉ちゃんみたいにしろお姉ちゃんみたいになれって言われ続けた。
高校や大学の進路のことだって、あんたじゃ無理、お姉ちゃんだからできるって何度言われたか。

なんかここまで書いて思ったけど、わたしお姉ちゃん嫌いだわ。
めっちゃ嫌い。
家族だからいなくなったら嫌だけどすごく嫌い、だと思う。

わたしのこと虐げるくせにしれっとしてるところが特に嫌い。

我妹ぞ、大事にしろしって感じ。


とまぁ、兄弟関係がこんなんだったから、承認欲求っていうのがもしかしたら人より強いのかもしれないし、その分嫉妬や劣等感も強いのかもしれない。

そういうのが自分の一部なんだろうけど、でもそういうのとはちょっと距離を置いて生きていたい。

潔癖な人間である必要はないけれど、寛大な人間ではいたいと思う。

うん。寛大だな。
でっかい器の人間になりたい。
自分のことも他人のこともなんでも許せるような人に。

いまのわたしは、こういうわたしは嫌い、ああいう他人は嫌いっていうのが強い。
かくあるべきを自分にも他人にも強要してしまう。

いちばん嫉妬も、劣等感も、自己嫌悪も、すべてを許せる人にどうやったらなれるんでしょうね。

 

 

なんか愚痴で終わった気がする。

文章の感じよりは幾分か元気ですのでご心配なく!

 

こんなところでお休みなさい〜。

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スズメが葉っぱみたいだったときの。

闇の中に、光の中に。

 長らくあいてしまいましたが、23記事目です。

 

今日はわたしの誕生日で、朝からたくさんのおめでとうにありがとうでいっぱいです。

主役だ!気分です(笑)

 

 

今日は休日にしては早めに起きて、年末の大掃除へむけて要らないものの整理をしたり、だいたい月に1回お世話になってる秘密の場所に行ったり、お母さんとパンケーキ食べに出かけたり(お店お休みだったけど)、ニトリで新しい枕を買ったり、お父さんとお母さんと大好きなクリームシチューにバゲットを添えて食べたりしてました。

 

 

秘密の場所は、いつもわたしにいろんなものをくれます。

癒しだったり、調律だったり。心がパワーアップする感じ。

いろんなお話も聞きます。

 

 

今日は闇の中に光があって、光の中に闇があるんだというお話をしてもらいました。

闇の中でしか気づけないことがあるかもしれない。

とんとん拍子に進んでいっているようで、最終的にはうまくいかなくて。

ただの闇にしか見えないところへ、そのどろどろした世界を進まないと光の入り口にすら立てないかもねという、そういうお話。

 

 

好きなもので食べていこうと決めて、怖いなって思ったことが一つありました。

まだはっきりとは体感してはいないけれど、なんというか、人間のどろどろした側面をちょろっと見た?気がして。

好きなことをすべきことにしてしまうよりも、そういう世界に自分も入らなきゃいけないの!?っていうのがいやだなぁぁぁぁってなりました。

これはもう10ヶ月くらい前のお話。

 

いまも、わりともやもやしてしまうことはたくさんあって。

不安もそれなりに抱えてはいる。

その多くは答えのないことばかりで。

だからつい、人に答えを求めてしまうことがある。

教えてくださいとは口に出しては言いません。

それは自分の問題だとちゃんとわかってはいます。

最近はそうならないように、気づいたらブログ書いてみるとかして整理をするように心がけています。

それでも、心では誰か答えをください。

わたしをいい方へ導いてくださいと思っている自分がいます。

 

 

わたしはたぶん2年前まで、だれかの答えに沿って生きてきたと思っています。

学校の規則は守るものだとか、大学行くのが当たり前とか、卓球も勉強もそれなりに成績とることとか。なんの疑いもせずに守って生きてきました。

それらはお父さんの教えであり、先生の教えであり、社会・世間・世代の流れというものに大方乗っかる形で。

 

そんなわたしがちゃんとわたしを生きているのはたぶん部活を辞めた2年前のあの時からです。

2年前、20歳になってから、自分の人生を生きることについて真剣に頭を抱え、苦しくなったり、楽しくなったりしながらいくつかのことを選択してきました。

 

パルクールで生きることを決めたのもそのうちのひとつです。

 

進む道がどうなるのかはまだわかりません。

わたしはまだスタートしてません。

スタートラインを探しています。たぶん。

気持ちはスタートではありません。たぶん。

気持ちは多分エンジンで本体です。たぶん。

 

パルクールで進む道に関してだけは、誰かに教えを乞うてはいけない気がしています。

ちゃんとわたしの道を歩いて行かなくちゃいけないと思っています。

そのうえで同じ志を持つ人とは共に歩いていって良いと思いますが。

ちゃんと、わたしはわたしのスペシャリストにならないとね。

 

わたしはきっと折れません。

よく泣きます。よく凹みます。よく投げだしたくもなります。

でも、よく立ち上がります。あんまりあきらめないです。

 

今日、アメリカにいる大事な人が「おめでとう」にたくさんメッセージを添えてくれました。

彼女がいなかったらこんなにパルクールって言ってるわたしも多分いません。

めちゃくちゃ嬉しかったです。

冒頭で泣きそうだったのでさらっとしかまだ読めてません。

 

彼女がいるので折れません。折れれません。

たぶん、何があってもお互い支えあっていけるんだろうなと思っています。

どんなに距離が離れたとしても、ずっと大事なパートナーです。

 

どんな闇でも、彼女がいるのでわたしはちゃんと進んでいこうと思えるだろうな、というこれは確信に近いです。

 

 

闇と光のお話は、わたしならちゃんとその先の光へ出ていくだろうと感じてもらえた証拠だろうと信じています。

 

やってやろうじゃないですか!!

 

というこの歳で過ごす1年の所信表明でした。

 

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あ、ちなみに22歳になりました!

写真は今日、秘密の場所で編んでもらった、フローライトのブレスレットです。

かわいくてキュンキュンしちゃう。