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みんぺのにっき。

何かが変わっていったらいいなと願いながら、感じたままにいろいろ書きます。生きたいように生きたいね。好きなことを、好きなように好きなだけ。

やりたいこと、自分のために生きること

22記事目。

 

やりたいことたくさんある。

どれもこれも、自分が満たされるためにしたいことだけどね。

人に話していないこともあったから、ここらでどーんと書いてみる。

もしかしたら、誰かがつなげてくれるかもしれないしね。

 

 

パルクールで生活がしたい

パフォーマンスができるようになりたい

パルクールでメディアのお仕事したいし

舞台に立てるような人にもなりたい

それから人前でパルクールのことを話す人になりたい

パルクールの練習場をつくりたいし

そこにカフェも併設したい

軽食スペースじゃなくてちゃんと落ち着くカフェとして

おいしいコーヒーや紅茶や手作りのスイーツ、軽食も出して

落ち着く場所にしたい

アパレルだってやりたい

女の子向けの練習着をつくりたい

JPWCの名前がもっと知れてほしいし

Hikariとずっとパートナーとしてやっていきたい

 

 

それから、パルクールで女性って言ったらあの人だよね、って

最初に名前が出てくるような人になりたい

 

 

パルクールに関するだけでこんなにある。

 

パルクール以外は

 

たまらなく好きな人と結婚したいし

きゅんとしちゃう、かわいいおうちにすみたい

6人くらいの家族で仲良く暮らして

子供の成長に喜んで泣いちゃったり

いつまでもかわいいお母さんでいたい

結婚した人にいつまでもときめいちゃう感じで仲良く年をとっていきたい

家族で海外にも住みたい

おいしいごはんを毎日作りたい

たまに甘いものも

コーヒーやお茶をうまく淹れて

だんらんと呼びたくなっちゃうそんなおうちがいい

 

ほかには

友だちとは年をとっても会ってお茶したりあほなことしたいし

水彩で淡い絵をかけるようになってたり

思ったことを良い感じのコトバで詩的な文章に書いたり

素敵な瞬間を写真で切り取ってみたり

 

好きなものに囲まれて生きていたい

 

 あとね誰かの心に寄り添いたいのもあるよ

 

そんで最期は生きててよかったーっておもいながら大好きな人たちに看取られたい

 

 

こんなにたくさんやりたいことある。

そのどれもがわたしにとってキラキラしているもの。

こんな風に生きたい。

 

前にも書いたけど、わたしは「人のために」というのがあんまり思えない。

「人のため」の裏側には「役に立つことで自分の価値を確信したい」という気持ちがあるから。

そういう意味ではわたしにとって「人のため」でさえも結局は「自分のため」にしかなっていないよということ。

なので、「心から誰かのために尽くすということ」は今のわたしでは多分無理。

 

自分にはない考え方なので、そういう人は本当に尊敬する。

 

でもね、自分だけがよければそれでいいかとかも思わなくて、わたしがやりたいことをやった結果が、誰かのためになってくれたらこんなにいいことはないくらいには思っているよ。

結果的にそうなるような道を選んでいきたいとも思っている。

 

だから「あんまり」なの。

 

 

あたまがパルクールだらけになって、自分の感じるままに過ごすようになって、初めてね「自分のために生きていいんだ」ってなった。

それが自分の命に対する責任なんだって思ったの。

 

社会には一般的にと言われることがあったり、いろんな人がたくさんのことを言ってくれる。

いまのところないけど、これから先無理でしょそんなん、ってわたしにいう人がいるかもしれない。

(突拍子もないことたくさん言うからすでに思われてるかも)

でも、そういう人は言うだけ言って責任なんかとっちゃくれない。

あるのは、その人のコトバを信じてあきらめた自分の選択だけ。

その選択さえも自分が望んだことなんだとしたら、

やっぱりやりたいことやって生きなきゃなって思ったよ。

 

与えてもらったものかもしれないけど、自分の命、自分の人生だもん。

だからわたしは「自分のため」に生きる。

 

 

わたしの場合はそれが今のところパルクール

 

なんでパルクールなのかって言ったら、実はそれが卓球に通じてたりするのが面白い。

卓球で食べてはいくなんて無理って言われて育ったけど、ずっとそういう世界で生きてきたから、どうしてもそういう生き方がしたいんだろうね、わたし。

部活のようにお仕事がしたいんだろうね。

だから、パルクールなんだと思う。

 

高校の時舞台に立つ仕事をするのはあきらめたかと思ってたけど、実はあきらめきれてなかったんだなっていうのにも気づいた。

他人の事とか気にしないで自分のために思い描いた夢って後にも先にもそれくらいのもんだったしね。

 

そう考えるといろんなものはくっついてきたけど、自分の本質って変わらないんだなとも思ったりする。

 

そういう自分は、我ながらまっすぐなんだなってけっこう気に入っている。(笑)

 

やりたいこと、ぜんぶやって生きてくよー。

わたしは欲ばりなんでね!

 

余すとこなくキラキラ生きよう。

 

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モヤモヤしてたら寂しい気持ちに気づいた

 

只今、わたしのいいところを聞くキャンペーンを開催中です。
いまのところ、ある意味仕事仲間である2人にききました。

 

ぽんぽん言ってくれるので電話しながら照れてにやにやしてる気持ちの悪い人になっているんだろーなー。(笑)
電話越しに突然「わたしのいいところを教えてください」、なんて、「おうおうどうした?!」ってなるよね。
聞いておいてなんだけどこっちもけっこう照れるし、恥ずかしい。

 

突然こんな連絡がきても、呆れずに対応してもらえると嬉しいです。
よろしくどーぞ。

 

 

そんなキャンペーンを開催しているけれど、2つ前の記事からのモヤモヤは消えない。
むしろ、自分のあんまり好きじゃない部分が最近モロに出ていて嫌になってしまう。
ちょっと前まであんなに穏やかだった自分はどこへ…。
辟易する。

 

こんな自分はいやだ、ダメだ。ばっかり。

自分のことを認めれていないこともそうだし、受け取る気ないやん自分。

 

くー、なんでかな。

 

もっと楽になりたいはずじゃないんだろうか。

どうして反対の感じ方をしてしまうんだろうか。

 

自分のこと嫌いな自分が好き

 

ということ?

 

うーん、気持ち悪い。笑

 

なんてことを思ってぐるぐるしていたら、なんだかんだで恋愛にたどりついてしまった。

 

だれにも好きになってもらえないのかなーっていうさみしさが原因なのかも。

 

って考えたらちょっと腑に落ちた。

 

これぞ人肌恋しくなる冬マジックか!?

 

恋愛はめぐり合わせだと思っていて、そんなのはタイミングだし、恋愛してる自分は面倒くささが3倍くらいになるので、あんまり好きじゃないからなー。
したいけど、したくないみたいな?

それを含めてごちゃごちゃ考えるのは嫌いなんだよね。
だから、駆け引きとかできないし。駆け引きなんていう性に合わないことやらなきゃいけない恋愛ならたぶん自分に合ってない、とか思っちゃう。
好きなら好き、違うなら違うでシンプルに生きたい。

 

 

そんな感じなので余計にパルクールしかないよう!ってなっちゃうんだけど、そっちもそっちで思うようにいかなくてうーんて感じ。

 

やりたいことちゃんと書こうか、やっぱり。


とかなんとか、うだうだとここまで書いたら、ちょっとすっきりした(笑)

 

そーか、わたし寂しかったのかー。

 

そういえば最近、人間関係でつらかったことを思い出していた気がする。
もともとのモヤモヤと助長しあってたのかな。

 

過去がどうであったにせよ、今ある愛を受け取れないで、受け取らないで「ない!ない!」って思ってるから寂しくなるんだろうね。


そこにある。
ちゃんとある。

 

そのことを知っているのに、見ないふり。

 

かわそうなわたし、を演じていた歴のがずっと長いけど、もうさよならだよ。

 

わたしはちゃんと愛されている。
ちゃんと人に好かれている。
大丈夫、大丈夫。

 

あとはちゃんと受け取るだけ。

 

寂しい気持ちもかくしてしまうんじゃなくて味わおう。

寂しいね、そうだね、恋とかしたいよね、
パルクールもがんばりたいよね、認められたいよね、
うんうん。

 

寂しいけどね、こんな気持ちもあるけどね、恋とかはしてなくてもね、それでもちゃんと愛されてる。
そうだ、心屋さんのコトバにこんなのがあったわ。

 

どうせ自分は愛されてる

 

失敗したって、成功したって、いいやつだって、悪いやつだって
どうせ愛されちゃうっていうね。

 

うぉ、なんかちょっと回復。
魔法のコトバだね。
ていうかコトバは魔法だよね。

なんだか取り留めもないし、解決したのかしてないのか、自己完結の記事になってしまった(笑)

 

ブログは書かないでいると書き方を忘れる!笑

 

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けーきたべたーい。

千田琢哉さんの大切なことは「好き嫌い」で決めろ!を読みました

 

 

前回はへこみ記事でした。

ゆるゆるともとに戻りつつあります。

コメントとか、個別にLINEくれた人もいて、じんわりじんわり。

ありがとうございます。 

 

おせち料理つくるのに誘ってもらったので、おせち作ってきます。

習う場所なくて困ってたの。

お嫁に行く前にできるようになりたかったから嬉しい。

 

いまはもうスーパーでできあいのものがほとんどだ。

おうちで作るのはお雑煮くらい。

日本人なので、国の節目の料理くらいは作れるようになっておきたい。

 

 

あとは、ともだちの一言で、自分のいいところを聞くキャンペーンをやることにしました。

さっそくアメリカにいる相棒に電話。

 

えい。

 

6つくらい言ってもらいました。

聞きたい人に聞いて満足したら、またブログに書きます。

 

 

今日は学校が終わってから本屋へ。

 

住野よるさんの新作「よるのばけもの」が発売だったので買ってきました。

1作目から大ファン。

お話の雰囲気も優しくて大好き。

さらに、イラストレーターさんのカバーイラストがお話とすごくマッチしてるのもいい。

 

ついこないだ知ったけど、イラストレーターさん同じ年みたい。

すごいっっ!!!!ってなった。

 

尊敬する。

 

さて、楽しみにしていた本のついでに自己啓発の本も2冊。

 

ひとつは千田琢哉さんの『大切なことは、「好き嫌い」で決めろ!』という本。

もうひとつは大木ゆきのさんの『幸せなことしか起こらなくなる48の魔法』という本。

 

今日はひとつ目の方の感想を書いていきます。

 

えーと、読んだ感想として。

 

頭痛いでした。(笑)

コトバが強すぎて途中で頭痛くなったので流し読みしました。

 

(でも最後のひとことで許す!ってなった。(笑))

 

いや、言ってることはとてもわかる。

好きなことで生きていきたいと思っているし、そういう思考の人が書いたんだなって思う。

ただし、その一言一言がとっても強い。

一字一句にエネルギーがこもっているというよりは、とげとげしいというか、攻撃的な感じ。

おしりをたたかれる気分とでも言ったらいいのか…。

 

これをパワーといっていいのかはわからないけど、なにかしらこもってます。

(読むと自分の体力を削られる感じがしたけど…)

 

生きたい生き方が叶っちゃうよ~みたいな本もいくつか読んだから(主に心屋さんですが)、前知識?的なところはあると思っているけど、その言葉の強さからかちょっとわたしには読みにくかった。

お手柔らかにお願いしたい…。

 

ストレートに書いてあって読みやすいという人もいると思う!

そういう人にはおすすめします。

 

内容としてはそのまんま。

「好き嫌い」という基準(いわゆる直感)で、仕事・働き方・人間関係・恋愛などなどについてを判断していくんだぜ!!!!ということが書かれています。

 

引き寄せの法則とかをもっとズバッとはっきりくっきり物申す!みたいなイメージの本です。

 

読み口自体はあんまり好きになれなかったけど、気に入ったところもあって、この本の6章。

「好きなことで失敗できるなんて、最高の贅沢だ」

っていうところ。

 

ふむふむ、確かになーという感じ。

それは思いつかなかったわ。

ほかの本ではあんまり見なかったわ。

 

好きなことで食べていきたい、というときにひとつ壁になるのが、いやになってもそのことを続けなければならない状態になるということだと思う。

 

それって、食べていくために必要なことだから、ある種必要に迫られているんだろうけど、それで好きなことが好きじゃなくなる人も多分いるんだろうね。きっと。

 

その不安が自分にないかと言われたら嘘になるけど、嫌いになるくらいなら違う生き方探すし、たぶんその方向じゃないんだろうなーとぼんやり思う。

 

でも、この失敗できるというのは、失敗することがリスクでもなんでもなくて、ただやりたい気持ちのままにできるという状態。

ちょっと無理でも、大きな損失を出そうと全然関係ないって強いなーと思った。

 

ゲーム好きだから勝っても負けても楽しい、ってこと。

負けたら人生やばいみたいなゲームはたぶん好きなことでも楽しむことは難しい。

 

そんな贅沢できたら最強よね。

 

こないだもやーっとしたのも、いまなら失敗しても大丈夫だけど、大学出てからする失敗について考えたら、それはリスクになっちゃうからなのかな?とちょっとだけ思った。

 

でも、好きなことで食べていくのスタートラインにたっているかどうかも怪しい身なので、まだ「そんな贅沢したいぜ!!!」という願望はないかな。

 

それよりも好きなことで食べていく、生きていくっていう実感がほしい。

 

そのあとなら欲しくなりそう。

というかそのあとに欲しい。

 

自分にはちょっと読みにくかったけど、本との距離感を保ってもういっかい読んでみようと思う。

けっこうわかること書いてあるし、これだーってなってるときに読むとめっちゃ強い味方になってくれそうだよ。

 

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次の記事で好きなこと、やりたいことバーッて全部書いたろかな。

どう生きていこうか

19記事目。

 

今日ふと思ったけど、結局これからやりたいこと決まってないなっていう。

パルクールを軸に生きていきたいとは思うけど、じゃあ具体的にはどうやって生きていこうと思ってるんだろう、わたし。

そう考えたら途端に怖くなってしまった。

 

決めれないのは覚悟がないからなのか、ほんとうに決める段階ではないからなのか。
うーん、結局覚悟がないのかなぁ。

段階だどうのって言ってる時点でそんな気もする。
そんなのは嫌だなぁ。

そうだとしたら、結局なんも変われてない。

変わらなきゃ、変わりたいって思ってここまで来たけど、もしかしたら1歩も進めてないかもしれない。

 

甘んじてることに満足してるかもしれない。

 

そんな自分を自己嫌悪して完結してるかもしれない。

 

うわぁ…………。

やだなぁ……。

 

そうだとしたら結局は働きたくないのと同じじゃん。

就活したくないだけじゃん?

 

うわぁ、うわぁ、うわぁ。

 

生きていくにはお金を稼がなくちゃいけない。

お金のためには生きたくないけど、生きるためにはお金がないと。

はやく経済的に自立したいのもほんと。

いっぺん家は出たいし。

一人暮らしじゃないとしても。

いつかは戻ってくるとしても。

 

 

どうやって稼ごうか。

何で生活を満たそうか。

 

選択はなんだって自由なのにね。

 

自由に生きたいし、そうであろうと思っているはずなのになぁ…。

 

なんだかもやもやしてきちゃった。

 

でも例えば、パルクールにまったく関係のないお仕事をするとして、お仕事とパルクールの精神的な両立はできるのだろうか?

今でさえわりと抑圧された状態にあるのに…。

 

そう思ったら、たぶん耐えきれないからパルクールという道でいいんだと思う。

 

そういう信念を持っていたほうが、ちゃんと自分でいられる気がするし、生きてる感じがする。

それは実感としてある。

 

なにもないと、ほんとうになにもないから、時間をただ浪費しているような感じになってしまうからなぁ…。

これは過去の経験として。

 

こうしなよ、を待ってる自分もいるけど。

(20年そうだったから許して)

 

なんか山奥とかで自給自足の生活するのとかいい気がしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログをはじめるきっかけをくれた彼女の記事を見て久しぶりにうらやましいなぁと思った。

ちょっと前はうらやましくて読めない記事とかあったよ。最近はそんなことなかったの。

このうらやましいの底にある気持ちはなんだろうか。

 

うーん。

わたしであることに価値がほしいんだろうか。

今は無価値だ!とかそういうのではなく。

わたしであることを認めてほしい?

認めるというよりは必要とされたいかも。

 

あなたがいてくれてよかったですって言ってほしいのかも。

言われるというか、思われたい。

思ってもらえたなら、自分のことをもっと認めてあげられる気がする。

他人に好かれる自分を好きになれる気がする。

 

ほんとは順番逆なのに(笑)

 

自分のこと認めてあげたら、そのままを必要としてくれる人に気づけるというか寄ってくるというか。 

 

なんだろう?そういう時期?

進みたくないのかな?

 

うーん、どうしたわたし?

 

 

この記事の内容自体もそうだけど、自分のこと否定に走ってやしないか?

 

うーん、素敵になりたい。

素敵に生きたい。

キラキラしたい。

ワクワクしたい。

 

楽しいや嬉しいで心を満たして生きたい。

 

もっとラフになりたい。

 

もっと自分のこと好きになりたい。

 

わたしのまま生きていきたい。

 

今日は乱雑に書いたけど、もうちょっと自分中で感じきりたいなぁ〜。(考えるよりは思う感じるに近いかな)

 

 

あんまり気分は良くないけど、それもまたご愛嬌的な感じで。

 

こわいね、わかんないね、ふあんだね。

 

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甘いもの食べたいなぁ…。

 

自分が練習会やることについて考えてみた

 18記事目になりました。

更新するとだいたい80〜100のアクセスがあります。

ありがとうございます。

 

パルクールで集まって練習することをもっぱらジャムとか言います。

ガールズジャムは女の子だけで集まってやる練習です。

そいつを12月26日から27日にかけてオールナイトでやっちゃいます。

主催はわたしです。

埼玉県にある体操施設を借りてやります。

興味のある方は詳細こちらからどうぞ。

 

 http://www.parkourwomen.jp/jam/hikobae5/

 

このオールナイトのガールズジャムも今回で5回目。わたしがガールズジャムを主催するのも5回目。

なんか数字がいっしょでおぉ〜ってなった。

なっただけだけど(笑)

 

 

去年の10月からもうガールズジャムを4回もやらせてもらっているわけだけど、最初はCONNECTというチームのHikariさんが大阪で何度かやっていて、愛知でやったら東京も大阪も集まりやすいかな?と思ったのがはじまり。

実際両方集まったのは8月にやった練習会のときだけだけですね。

学生はお金がない、社会人は時間がないといったところ。

でも、毎回10人以上はコンスタントに集まってくれるのでとても嬉しい。

やるたんびに誰も来なかったらどうしよう、と思ってるけど(笑)

実際にはいつもたくさん人が集まってくれて、初めての人も何人もいるから、入口になっているのならやってよかったなぁと思える。

終わったらちゃんと反省して(ひとりでだけど)、少しずつ内容も良くなっていると思うので、もっと楽しい1日になるようにやっていこうと思う。

前回からアンケートもやり始めたことだし。

 

 26、27日のオールナイトのガールズジャムは留学中のHikariさんから引き継いではじめてなのでわりとドキドキしてるよ。

 

 

 

 

 

 

 

でも主催は、ほんとはあんまり得意じゃない…。

どちらかというとサポートの方が好き。

自分じゃ人がついてこないと思ってるのもあるけど。

 

それでも、女の子で練習会開こうっていう子がまだまだ少ないと思うので、多少なりともよしやるかっていう気持ちがあって、やれる時間もあるしわたしがやればいいよね。という気持ちでいつもやる。

それに、人の前でなにかしらやるのは好き。

主催という立場は得意じゃないけどまったく苦ではないし、それどころか楽しくはある。

 

これからもやっていきます。

もっと大規模になったら、どうなるかなというのが見てみたいし。

そのころ情報サイトのほうもどうなってるか楽しみだ。

このブログも。

 

 

 

女の子だけの練習会のいいところは、やっぱり気楽なところ。

男の子がいるとどうしても気後れしちゃう。

そんなの気にしないでいいのに、と思ってくれたり言ってくれたりする男性もたくさんいるただろうけど、やっぱりそこはどうしても思ってしまう。

どんなに仲がよくったって、男の子だけしかいないとちょっとだけだけど、居心地の悪さみたいなのはある。

それでやめてっちゃう女の子もたくさんいると思うから、やっぱり続けやすい環境のためにも女の子増えたらいいのかな?そのための助力だね、ガールズジャムも。

 

雰囲気もあるけど、始めたてだろうと何だろうと男の子の方が筋力あるので、跳べる距離だって全然違って、そのことに気後れもする。

みんなはあそこやってるけどわたしじゃできんなぁ怖いしなぁと思ってすみっこでやってたりする。

慣れたスポットとかだと、あそこならできるとかいうのがもうあるので好きな練習やってるけど、初めて行くスポットだと何しよっかな〜となることも多々ある。特にそんな場所で女の子自分ひとりとかだと完全にアウェイな感じする。

そういう場所へは女の子といっしょに行って、いろいろ話しながらやるのが楽しい。

 

これはたぶん女の子だから、というよりは初めて来た子にもけっこう当てはまると思う。

何やったらいいかわからないし、仲良い子いないし、どうしよう…って。

わたしの場合は、高校の同級生がいたのでだいたいいつもその子の後ろにくっついてた。

名古屋には女性トレーサーでHanaさんという方がいるので、それも心強い。

日本の女性トレーサーの中でもたぶん1番うまいひと。アドバイスもたくさんくれて、できるようになるといっしょに喜んでくれるので、すごく楽しく練習できる。

Hanaさん大好き。

 

自分もそういう人になれるだろうか。

ならなきゃいけない、だとちょっとやりづらいなぁ。

いつの間にかなってた、くらいがちょうどいい。

 

主催で身構えてしまうのはそういうところもあるのかな。こうじゃなきゃいけないみたいな固定観念

人にそれを求めようとは思わないけど。

 

 

なので、主催はもっと軽い気持ちでやっていいと思いますよ。

特にお金をとるわけでもないし。

みんなで練習したいからやろっかな、くらいのつもりで。

 

海外行きたくてお金貯めてるので、なかなか愛知から出られないけど、関西も関東も、それ以外でもガールズジャムやれたらいいなぁとはいつも思っている。

春休みはもしかしたら全国行脚するかも。全国のトレーサーさんに会うパルクール旅。考えただけでわくわくするね。

 

今日はなんだか終着点が見えないけど終わり。

蘖(ひこばえ)ガールズナイト会いに来てくれたら嬉しいな。

 

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バタービール飲みたい。

 

神さまに願うこと

17記事目。

 

宗教のお話ではありません。

ちょっとしかやったことないけど宗教の勉強は結構楽しいと思う。宗教を知ることはその国を知ることにも近いから。

 

ではでは本題。神さまのお話。

 

 

 

神さまはたぶんいるなぁと思っています。

 

かみはいるー!うぉー!かみさま!

というよりは

もっとふんわりと包んでくれているイメージ。

 

すべてコントロールされてるとかっていう意識はなく、なんとなく守られてるみたいな。

 

ちょっとずれてたら大怪我してたようなことでもでも軽い擦り傷で済んだりしてるのは神さまに守られてるからかなぁと、そんな感じです。

 

たぶんいるなぁ。

いてくれたらいいなぁ。

いたらちょっとすてきだよなぁ。

 

わたしの神さまへの思いはそのくらいです。

 

 

ここからの神さまのお話は人から聞いたお話。

初めて聞いたときすごく素敵だなと思った。

 

 

 

さて、神さまへお願いするとしたら、人はどんなことを願うでしょうか。

 

健康過ごせますように

受験に受かりますように

大会で結果が残せますように

仕事がうまくいきますように

お金がたくさん入りますように

恋人ができますように

 

人の願いは人の数だけある。

というか、人の数よりも多いと思う。

 

わたしもお願いしたいことはたくさんある。

 

パルクールを軸に生きていくこと

家族みんな健康でいること

自分の家庭を築くこと

お金もちゃんと稼ぐこと

 

たくさんあって、そのたくさんを全部叶えてくれるかもしれない。

でもひとつだけかもしれない。

 

だから、たったひとつシンプルにお願いするとしたら、『わたしを幸せにしてください』がいいんだとか。

 

傲慢なお願いだーって言う人もいるかもしれないけど、実は素敵なお願いごとだと思う。

これほど素敵なお願いごとは他にないと思っているくらい素敵なお願いごとだと思う。

 

だって、わたしの幸せを作ってくれることは、家族の健康であり、やりたいことのお金があることであり、友だちに不幸がないことであり、自分のパルクールであり、ほかにもいろいろある。

それら、すべてがかなっていないとわたしは幸せじゃない。

じゃない、というよりかはひとつひとつの幸せを感じきることができないって言ったほうがいいかも。

 

たぶんみんなそうだと思う。

家族には健康でいてほしいだろうし、お金だってほしいだろうし、恋愛だってうまくいってほしいだろうし、ともだちにも恵まれていたいと思うでしょう。

 

ひとりひとりの幸せの形は違うだろうけど、いろんなことが合わさって合わさって、その幸せをかみしめられると思う。

 

少なくともわたしはまわりの人が幸せじゃないと、幸せを喜べない。

なんだか申し訳ない気持ちにすらなる。

 

だから本当に目から鱗だった。

わたしの幸せを願えば、わたしのまわりの人も幸せになるじゃんって。

(他人の不幸が幸せだ、なんていう人は置いといて)

幸せがそうして連鎖して行ったら、きっとちょっとだけかもしれないけど、なんかいい世の中になる気がする。

なるかもしれないし、ならないかもしれないけど、なったらいいよね。

 

 

これもやったらいいよって教えてもらったことだけど、21日間のお参りの話。

 

今日から21日間、土地の神様へお参りしに行こうと思う。毎日欠かさず。

 

このお参りはお願いごとをするんじゃなくて、いつもありがとうございます、という感謝を込めて。

 

今日からはじめるとちょうど21日目は誕生日だから、なんかそれもキリがいいかなって。

連続で21日間らしい。

晴れの日も、雨の日も。寒くても…。

時間帯はいつでもいいから、毎日土地の神さまに会いに行く。

 

なにかいいことがあるかもしれないし、ないかもしれない。

お願い事も叶うかもしれないし、叶わないかもしれない。

 

でも、感謝する心って視点をかえてくれるから、やるだけでもなんかいい気分になると思う。

ありがとうのエネルギーはけっこう大きい。たくさんいいことを、運んでくれる言葉のひとつだと思う。

 

 

そんなありがとうを伝えに、なんかあったらいいなっていう期待をちょっとだけこめて、神さまに会いに行こう。

 

 

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ジェンダーについて

16記事目。

 

女性のためのパルクール情報サイト、という活動をしているからかジェンダーについてはよく考える。

 

自分も女の子だし。

 

ただ、どこまでが権利の主張で、どこからが男性への差別なのか。

また、権利を主張するが故、どこからか一周回った女性差別になっているんじゃないかとも思う。

 

例えば、ガールズジャムをやるときも、その場所に男性には立ち入ってもらわないようにしているけど、悪い言い方するとそこから男性を排除しているわけだし、男性の権利を奪っていやしないかと考えてしまうことがある。

 あとは、心は女性の人でもしパルクールやりたいっていう人がいたときに、女の子限定練習会の謳い文句はただの差別用語ではないのか、とか本気で思う。

 

いまも女の子でパルクールをがんばるんだー、と息巻いている一方で

女性であることははたして特別なのだろうか、とも思う。

 

パルクールの競技人口で言えば圧倒的に男性が大多数である。

これは事実だ。

 

だけども、そこにわたしが女性であることの特別性ははたしてどこまであるのだろうか。

というか、その特別性は一種の差別なのではないかとさえ思ってしまう。

 

誰でもできるはずのパルクールを女の子でがんばってますよ、というのは女の子にはできないという前提を含んでいるのでは?とも思えてしまうから。

(まだ日本の社会ではそうなだけかな。実際サイトの活動はその前提でやっているけども)

あー世界に出たい。

ほかのコミュニティにまじってみたい。

 

 

逆に男の人だと家事育児に力を入れていると素晴らしいと評価される。

(家族のあり方として、育児や家事はみんなでやるべきだと思ってるからすごくいいと思う)

でも、そこには女性はやって当たり前という前提があって、女性は家事育児と仕事を両立できないと仕事の優先順位がどうしてもあとまわしにせざるを得ないことが多いんじゃないかと思う。

これも女性に対する一種の差別だし、

男の人からみたらやらない方が普通みたいな差別を受けているんじゃないかとも感じる。

 

(うまく言えてない感は否めない。)

 

あ、レディースデイがそうかも。

いろんなところでレディースデイっていうのやってるけど、メンズデイってあんまり聞かない。

男の人だって映画とかちょっとお得になったっていいじゃんね?

 

あと、女性専用車両

名古屋市営地下鉄名城線で数ヶ月前に朝の時間帯で女性専用車両の導入が始まったけど、これはもっとやり方があったと思う。

その女性専用車両に指定されている場所はほとんどエレベーターの前だったり、エスカレーターの前だったりしているので、使いやすい場所の目の前が女性専用だと男の人はそこからどかなくちゃいけない。

乗り換えが間に合わないという男子学生の投稿が新聞に取り上げられていたほど。

 

痴漢された方ってたぶんする方が思う以上にかなりショックな出来事だから、それを防ごうというのはわかるし、女性としてはありがたいなぁと思う。

 

でも、これは女性が優遇されすぎている。

作るなら車両の最後尾とかいちばん利用者の少ない場所を選ぶべきだったと思う。

公共交通機関のこうした問題も男性差別のひとつの例だと思う。

 

 世の中のこうした女性に対する過度な優遇はもうちょっと考えなければいけないと思う。

そのためには男性がちゃんと、それは男性差別じゃないのかーとか言えたらいい。

ちゃんとお互いのバランスを知ってそれがちょうど良くなったらいい。

 

ちょうどいいってなんかいい言葉だ。

 

ジェンダーについての差別についてちょこちょこっと書いたけど、区別と差別の境目ってけっこう曖昧だったりする。

 

例えば、

 

女性の採用を活発にやっています。

女性の管理職を増やします。

 

その意味ってほんとうに女性と男性を対等に見るということなのかな。

 

それがもし、女性というだけでふるいにかけられているのだとしたら、それは男性への差別じゃないの?

 

でも男の人なら、出産のための(ここでは子どもを産むそのものことだと思ってほしい)お休みはとらなくていいわけだし、会社としてはそのほうがありがたい。

これは男性が採用されやすくていいれっきとした権利だとも思う。

 

ただ、そんなの人として評価してない!とも思える自分もいる。

 

そうやって考えると、性別も個性のうちのひとつでしかないのかもしれない。

 そう捉えるならそれは単なる区別でしかないなぁと思ったりするんだよね。

 

でもやっぱり、女だからこう男だからこうみたいなのが取っ払われつつある時代だから、性別に関係なく目の前の人を人として見ていきたいし、わたしもわたしとして見られたいという気持ちはある。

 

ジェンダーは難しい。

 

ジェンダー、特に家のことと仕事について、どこまでが区別でどこまでが差別になるのかは正直わからない。家庭それぞれの考え方もあるから国で統一して、こうだよ!というのが正しいとは思わないし。

進化の過程や歴史の中でも女性が家を守って、男性が外へ行くっていうのが当たり前な期間のが長かったからまだまだ変化の途中ではあると思うけど。

大変なのは社会の仕組みだけじゃなく、ここまで進化してきた遺伝子情報レベルで刷り込まれているんじゃないだろか。

 

働きたい働き方ができて、それぞれが理想の家庭を築ける社会であったならもう万々歳です、わたしは。

 

 

男性、女性という区別(自分の認識はそうでありたい)以上のものを持たないで、いろんな人に関わっていきたいなぁと思う。

 

 

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